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2013年 横須賀考古学会縄文部会研修旅行報告
 -伊勢湾最奥の貝塚と美濃・飛騨の洞穴・集落遺跡巡検-
日程   2013年8月31日(土)~9月2日(月)
コース  岐阜県海津市→関・各務原→山県・郡上八幡・下呂・高山→飛騨市
参加者  野内、剱持、須田、鯉渕、内田、川島(全行程)
中村(第1日目のみ)
(以上敬称略)

今年のテーマは貝塚と洞穴、大規模集落である。岐阜県唯一の貝塚である伊勢湾最奥の羽沢、庭田貝塚の見学から始まり、岐阜県の洞穴遺跡、中期後半の大規模集落、奥飛騨の石棒製作址である塩屋金清神社遺跡と岐阜県を南から北へ縦断して富山県境付近まで達するコースである。また、当該地域は東日本、西日本、信州、東海地方、北陸地方などの影響を受けた土器が混在し、文化の緩衝地帯として興味深いフィールドでもある。
第1日目 8月31日(土)
 岐阜羽島駅10:00集合。車2台に7名同乗して海津市歴史資料館に向かう。海津市は会津藩九代藩主松平容保の実家である高須松平家の領地であったところであり、資料館外観は城郭風である。館外には「堀田」と呼ばれる当該地方に特有な水田景観を復元していた。館内展示であるが、展示は縄文の貝塚、古墳、近世の展示、そして最上階は高須御殿を復元している。主として貝塚展示を中心に見学した。縄文の展示は当県に2つしかない羽沢、庭田貝塚の展示を主体にその貝層、出土遺物、自然遺物が展示され、両貝塚の違いも分かる展示となっている。
 庭田貝塚は中期後半を主体とし、羽沢貝塚は晩期後半を中心とする貝塚である。主体貝種もマガキとヤマトシジミと異なる。庭田貝塚は範囲確認調査であることもあるが、遺物の出土が少なく、マガキ主体層が中心であることと所産時期が中期であることからマガキの剥き身作業場とも考えられ、興味深い。これに対し、羽沢貝塚は前期から遺物は出土するが、貝層の主体は晩期後半であり、愛知県の貝塚と共通した様相をもつ。主体貝種がヤマトシジミであり、伊勢湾の海退がゆるやかであったとの印象をもった。資料館見学後、羽沢貝塚、庭田貝塚を実見。庭田貝塚ではかなり良好に貝殻散布を確認する。続いて岐阜に移動し、「なまずや分店」にて昼食。ウナギに舌鼓をうつ。昼食後、移動に手間取り、閉館間近に岐阜県博物館を見学。岐阜県の土器は美濃地方では東海・関西方面の土器の影響が強く、飛騨地方では逆に北陸、信州方面の影響の濃い土器が多い状況を確認する。これは分水嶺を境に変化するのか興味深い。
さらに中期の集落遺跡である関市塚原遺跡公園、各務原市炉畑遺跡公園を見学し、第1日目の行程終了。投宿後、「呑酒蔵」にて岐阜の料理と酒を堪能。
第2日目 9月1日(土)
まず、九合洞窟を探訪し、山県市歴史民俗資料館で資料見学。次に大滝鍾乳洞にて古代焼の昼食。古代焼は焼き石を用いた焼肉で縄文部会であるので牛・豚の選択肢があったが、当然豚を選択。空腹を満たしたところでまず自然の鍾乳洞を見学。続いて縄文ミステリーツアーと銘打った安久田地獄穴洞穴を見学。内部の照明は消されており、懐中電灯を頼りに巡見する。地上の入口より入り、出口はやや小高い丘から出る。内部は冷気清涼にして別世界である。鍾乳洞は大滝鍾乳洞と変わらず、鍾乳石、石筍によって不思議な造形が作り出されている。縄文時代の遺跡となる部分は出口に近いところであり、標高がやや高いところとなる。洞内には縄文人の生活を模したオブジェが飾られている。また、住居跡とされているところは石筍によってかなりの凸凹となっており、当時からそのような状態なのか、長い年月の間にそうなったのかは現時点では検証不能というほかはない。しかし、出口(現在では)に近いところに住居をかまえ、数か所にわたって遺構を残すあり方は、高知県龍河洞(弥生時代後期)に通じる洞穴の利用形態と考えられた。洞穴見学終了時に15:00を回っていたこともあり、急遽予定の岩屋洞窟はパスして下呂市峰一合遺跡公園に移動。下呂市ふるさと歴史記念館にてパン状炭化物など資料見学のうえ、遺跡公園を見学。そして最後の見学場所、高山市堂之上遺跡公園に到達する。公園敷地内にある久々野歴史民俗資料館はすでに閉館していたが、公園内の復元住居を見学する。見学中突然の夕立で竪穴住居に避難。雨はほどなくやみ、公園に大きな虹が2連並列して出現し、大きな感動を受ける。高山にて投宿。「大衆居酒屋 樹」にて岐阜地ビールを味わう。

第3日目 9月2日(月)
早朝飛騨みやがわ考古民俗館に向かう。当館は平日予約制だが、資料館の規模は大きく見応えのあるものであった。飛騨市学芸員三好氏の説明で、民俗資料、考古資料の見学をする。また、昨年列島展で展示された島遺跡の資料見学をお願いし、収蔵庫内にて島遺跡出土資料のほか早期の遺物を見学させてもらう。見学は2時間を予定していたが、濃密な展示と豊富な収蔵資料のために時間切れとなり、急ぎ高山に戻り、レンタカーを返却し、解散。走行距離はおよそ530㎞であった。(文責 鯉渕)
羽沢貝塚
2013/09/23(月) 10:49 例会 PERMALINK COM(0)
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